アルバイトで弱視者の接客をして感じたこと。
2月11日現在絶賛8連勤中だ。
わたしはスポーツショップで販売員として接客をしている。
いつシフトに入っても接客をしない日なんてないから、老若男女どんな人でも接客できると信じていた。
昨日、2年半のスポーツショップ接客歴の中ではじめてのお客さんの対応をした。
その方は弱視者(以下、Aさん)であった。
はじめにAさんから声をかけられ、わたしの顔がある方向を見て話しているが故に接客導入までの間は健常者と全く変わらないようにみえた。
商品を探そうと動き出すとゆっくり探るように歩き出したものだから、どうしたのかと思い、ものすごく戸惑った。
今考えればAさんは白杖を持っていたのですぐに気づくべきであった。
接客を始めて数分経った頃に店内を見回っていた店長から、Aさんは弱視(全盲ではなく、少し見える)なので移動の際には肩を貸したりして接客してください、と受けてやっと戸惑いが晴れた。
そして、色や形、どういった場面に適しているのかなど、商品について説明し、40分程接客したのちにちゃんと商品を選んでいただけた。
勤務時間がおわり、一息ついたときにAさんの接客を思い返してみた。
接客も終盤にかかったころにAさんは何気なく、「何度も何度もすみません」と言った。
「いえ、気になさらないでください」と返したもののはじめての経験ではあっても、拙い接客したわたしの方こそ申し訳ないと感じた。
そして、もう大体の接客はいけると思っていたが、一人前には程遠いことにも気づかされた。
当たり前であるが。
ここ数十年、人権なるものに日本は大きく渦巻いている。
ヨーロッパでは数世紀前から市民の権利や女性の権利などをとって戦ってきた。
近年は障碍者の権利にも注目度は高い。
障‘害’者という書き方から、障‘碍’者が一般的になったのも記憶に新しいように思う。
わたしは生まれも育ちも日本である。
わたしが小中学生のときの、日本での彼らの教育の在り方として、学校行事と体育の授業以外は、一緒に授業を受けることは少なかった。
高校進学の際には、知的障碍のある子は特別支援の学校に行くことになっていた。
(現在の教育体制が変わっていたら申し訳ない)
高校生のとき、アメリカの姉妹校に数週間留学する機会があり、そこで度肝を抜かれたことを覚えている。
その高校は州で一番、理数系に関してはアメリカでも上位の教育を行っているようなところであった。
それゆえに、一般授業に障碍をもっている子たちが同じように席に座って勉強し、発言していたことにとてもびっくりした。
正直発言内容などが完全に理解できているわけではないので、教師がどう対処しているのか、コメントは何を言って返しているのかはわからなかったが、教師が隔てなく同じように接していたのは印象的だった。
アメリカでは、というか少なくともこの学校では、当たり前だそうだ。
わたしがAさんを接客したときに困惑したのも、良い悪いは抜きにして、一般とは違うとみなした人とそうでない人と何かの根拠(医学なのか科学なのか)をもって隔てた教育を行っている自治体で育ったことにあるのかもしれない。
一般授業で関わりをもつこともなく、外部との交流で多かったのは外国人やお年寄りとの交流である。
同じように身近にいる障碍者と関わる場面は少なかったように思う。
この教育を悪く言っているわけではなく、探せば日本の、またはアメリカの教育のやり方両方にメリットもデメリットもあることは間違いない。
ただ社会に出てからより、まだ幼い頃から関わったことで、どう対処をしたらいいのか、どうゆう風にすると健常者と同じラインに立ってスタートをきれるのかということを考える力を養えるのではないかと思った。
関わる機会を自分で持てばいい、ボランティアに行けばいいと言われるのも妥当ではあるが、幼い頃には自分で選択できることも知識もない。
現在では、学生生活や自分のことで手一杯な上に、なかなか興味の中心にあるわけでもない。
教育というのは国語や英語、社会、数学などだけではないのは恐らく義務教育でもその方向にあるはずだ。
指導要領にも「生きる力」というものが載っている。
この世の中、生きる力とは、コミュニケーション能力も欠かせないはず。
だから、色んな人に興味を持つ機会を設けることも第一優先でなくても入れて欲しい。