神ちゃんのブログ

わたしが体験したこと、料理の紹介、思ったことなどを書き綴る、すんごいまとまりなく、自由なブログです。

人を愛するということがわたしにとっては難しかった

 

 

 

別に病み記事とかではないです(笑)

 

ただ、この間気づいたことです。

心から人を愛することって単純なようで難しいんだなと。

 

 

 

現在わたしには以前から結婚したいと思えるほどの彼氏がいます。

しかし、理由は今と過去では違います。

 

 

わたしは基本的に自分対外で起きてることに関してはポジティブであることが殆どです。

周りからはそんなことないでしょってよく言われますが、ポジティブな反面、自己肯定感はとても低い感じがします。

 

わたしでもなぜかはよくわからないのですが、たまに自分がこの世に必要のないもののように思ったり、人から怒られるとわたしがいなければこの人は怒らなくてすんだのにな~と考えてたり・・・

物心ついた時からそう思っていた記憶があるので、別に死にたいとか身体を傷つけたりなどは全くなく、できるだけいろんな人と関わることで気持ちを整理する術を身に着けました。

 

ちなみに両親がそういう風に育てたわけではないのは確かで、叱られても「あんたに怒っている気持ちが無駄」みたいな言われ方はされたことなくて、ほんとうに謎なわたしの性格です。

 

 

そのせいか、正直現彼氏以前に付き合っていた男性とはただの身体の関係みたいなところがありました。

だから長く続かないし、家族や友人以外の愛情というものが偽りだと思っていました。

 

そのときは自分はこの人が好きなんだ、と思い許していましたが、この人に愛されている証拠みたいなものが欲しくてそのような行動になっていたのかなと今では分析します。

 

確かに、身体を許すことも愛情の一つであるのはわかっているんですが、それができなくなると不安で仕方なかったのです。

 

 

前の彼氏と別れた理由が浮気じみたことをしたので嫌だな~と伝えるとキレて、これでは話にもならないと身体的に傷つけられる前にすぐに別れて、現在の彼氏がそのときに慰めてくれて今に至るというわけなんです。

 

ぶっちゃけた話、付き合った当初は好きではありませんでした(笑)

めちゃめちゃ私のこと好きでいてくれて、ありがとうくらいの気持ちだったと思います。

 

それが、多くの時間を過ごすうちに自分の気持ちも変わっていき、付き合いだして半年頃には心のうちを話せるようになったのですが、彼は自分を大切にしていないと言いました。

 

そのときはよくわからなかったのです。

今まではそういった話をしても軽くあしらわれ、それでもわたしも大して気にも留めなかったからでしょう。

 

それからたびたびわたしが自分自身を否定するようなことを言ったりすると逆に怒られるようになり、大丈夫だよ~って言ってくれます。

それに甘んじて何にも努力する気がなくなるような感じではなくて、ただ単にそれだけで能力とか抜きでわたしという存在が必要とされているとわかるようになれたのです。

 

ようは、めちゃ進歩した、わたし(笑)

もちろん、彼氏様様なんですけど。

 

 

そして、結婚したいなという理由もかわってきました。

 

初めのうちは週3くらいお互いの家に泊まりしあっていて、ちゃんと家事やってくれるし~とかそういったことが理由でした。

 

現在はいろいろなことが重なって5か月ほど同棲状態が続いています。

その中で、不満があったり嫌なところが見えてきたりであーもう!となることもお互いにあるし、いまだにわたしは自己否定発言するし・・・で彼は疲れている部分もあるはずですが、変わらず眠る前には気持ちを伝えあって、どっちかが落ち込めば支えあい、少なくともわたしはこの人でないと死ぬまでの人生を寄り添っていこうと思えないだろうと思っています。

 

 

 

人を愛するって簡単なようでそうでない。

 

以前にわたしは、自分を愛せないと人を愛せないなどと聞いたことがありますが、これは愛の真意を突いていると思います。

 

上手く説明できませんが、自分を信じて愛せないものは他人を信用すらできない、という感じでしょうか。

 

 

 

現在の彼との関係がもしかしたら何かを気に終わってしまうこともあり得るかもしれませんが、彼から得たことは一生ものになると思います。

 

 

出会ってくれてありがとー!!!!!!!(笑)

コミュニケーション能力ってまじでなに

 

 

 

今回書きたいことは「コミュニケーション能力」についてです。

 

 

みなさんが思う「コミュニケーション能力」とはなんですか?

本当にぱっと思いついたことを知りたいのですが、

もし見てくれている方がいれば、コメントでアイディアください。

 

ちなみに、

わたしの理解しているの「コミュニケーション能力」というのは

まさに言語を聞き取れる・話せる・喋れるの意味合いが大きかった気がします。

 

わたしは何度か短期留学をしているので、そこは確かに問題ない、

めちゃくちゃ自信を持って他の人よりコミュニケーション能力ありますと言えた気がしました。

 

 

わたしは怒涛の就活を終えて思ったのです。

 

というか、大学生になってなんとなく思っていたんですけど、まぁ認めたくないというか・・・。

 

就活でわかった。

コミュニケーション能力とは、別に言語力のことを言っているわけではないということに。

 

うまく自分の意見や考えを伝えることができて、相手といい関係を築いてやっていけるかどうかがコミュニケーションという言葉に含まれるのではないかと思いました。

 

 

 

わたしは18歳で県外に出てきて、考え方や言葉(方言)、価値観が沖縄の人と異なる場所で一人で生活をスタートさせました。

 

それまでは似た風習のなかで生活していたため、コミュニケーションなどあるようでないもの。

人見知りであっても、半月もすれば友達ができるくらいの人柄ではある。

 

なんら困らないからコミュニケーション能力というのをなめていました。

 

大学で友人ができないわけではないがなかなか心を開くには時間を要し、生きていくうえでの本当の意思疎通までは長い道のりだった気がします。

 

 

そして、お小遣いが必要になり、アルバイトをするようになったのですが、

そこでもっとコミュニケーション能力の意味を思い知りました。

 

よく言われるホウレンソウ(報告・連絡・相談)ができないと、自分が困るだけでなく、最終的にお客さんまで困るシステムです。

 

これ、できる人はできて職場でも重宝されるのですが、

正直、コミュ障気味のわたしには上司がどういう人なのかとか、

無駄に周りに気を使う性格のせいで慣れるまでは難しいです。

 

それはもちろんわたしの性格そのものが原因なのはわかっているんですが、

2つ目のアルバイトは大手チェーンの居酒屋で、社員は(働きづめというのもありましたが)

毎日のようにイライラ、イライラ、イライラ

 

こっちがイライラするわ!の気持ちは置いといて、

めちゃくちゃホウレンソウがしにくい環境。

 

わたしは女性ということもあってそこまで怒られることはなかったのですが、

新しく入った男性(アルバイト、社員に関わらず)は結構ヒドイ扱いをされていました。

 

それでやめたのがわたしが知っているだけで2人、古株さんに聞くとあと2人いたそうな!!!

わたしが働いていた店舗で、だけです。

わたしが知っている2人は、正社員で1年半たらずでやめました。

 

もちろん扱いについては怒られているときでも、普段でも、のことなんですが、

いわゆる暴力まがいのこともありましたし、

機嫌がいいときはモノで軽めにひっぱたいたり・・・。

 

確かに言っていることは正論だったり、

悪ノリでやっているだけといいたいのかもしれませんが

しかし、そこまでする?とわたしは引き気味でした。

 

それだけが原因ではないのですが、1年ちょっとでやめて現在のアルバイトをやっています。

周りのレスポンスもよく、叱るときはちゃんと説明し、しっかりサポートする体制のある職場であるため、

ものすごいやりやすいですし、アルバイトの定着率もいいです。

 

 

現在体罰といわれていることが普通だった時代に学生や仕事始めたころであれば

暴力を振るわれたり、理の通らないことを言われたりしても

どうにか耐えていたかもしれませんが、

今の世の中暴力などもってのほか、理不尽なことでも言われれば

仕事がままならない人は結構いると思います。

 

まぁ、わたしもその一人で、やめたりすることはないけれども

その人に対しておどおどした態度をとってしまいます。

 

 

 

結局何がいいたいかって、就活でコミュニケーション能力はあるか、という

こちら側だけに聞いているような質問で、

わたしは声を大にして「はい!!!」と答えたが、

どんな世代の人が交わったとしてもコミュニケーションが上手くいくかどうかは

お互いの問題なのだ!!!!

 

暗黙の了解が通るなんてもってのほか!

それができる人は特別な訓練をしたとかではなく、

経験してきた人か元々察しのいい人かである。

 

誰もが頑張って「言われなくてもわかるだろ」がわかるわけではない。

 

 

ちょっとアツくなってしまってまだ言いたいことはありますが、

ここでストップします(笑)

 

 

 

どんだけわたしのような人が声を上げてそういう風習やめて!といっても

なくなることはないでしょうが、

ホウレンソウが苦手な人の気持ちを綴ってみました。

 

 

 

 

バスの中に夜中まで置き去りにされた経験がわたしの人生をつくる。可愛い子には旅をさせよ。

 

 

こんにちは!

今回のテーマ?は悪い経験も反面教師でいい?思い出になるという

ただのわたしの価値観の話(笑)

 

まじめに生きてきた人からしたら、ただのいい訳だろみたいになりますが、

その人の生き方であって、反省する材料であったり、笑える思い出だったり・・・

人間は考えて学ぶ生き物なので、こんな人もいるんだな~くらいで見てください。

 

 

わたしは、なんでも経験主義です。

そのため、黒歴史なる失敗はまぁまぁしています。

 

悪い経験もたくさんしたように思います。

 

ちなみに、悪い経験というのは

法には触れないけどイメージはよろしくないこと

と定義しておきます。

 

 

 

お酒

これに関しては多くの方が失敗していると思いますが、

わたしの失敗はなかなかなものです(笑)

 

誕生日に友人2人が祝ってくれたのですが、

ビール飲み、ワインボトルを開け、さらにショットや訳のわからないカクテル飲み・・・

3時間後にはふっらふらになりながら近くの駅で3人でダンスしていました。

 

あんまり覚えていませんでしたが、しっかりとブレブレの動画を撮っていました。

めっちゃ楽しそうでうらやましい(笑)

昔の私はザル(飲んでも飲んでも大丈夫)でしたが、たった1年余りで弱くなってしまった(笑)

 

そして家へ帰るべく地下鉄を降りてバスに乗って一安心したのもつかの間。

気づいたらバスは動いていないし辺りは真っ暗。

 

なぜ?と思いながら、電子辞書の時間を見て驚愕!

午前3時で、そう、バスの中に取り残されていたのだ!

そのままんま眠って家から歩いて30程度のバスセンターにいた。

 

携帯もないしどうしようかと車内をウロウロしたあとに、

どうにか脱出口を見つけて外に出たのです。

 

 

 

そしてここから家に帰るための戦いが始まった。

(ここからはどうやって家に着いたかの余談である)

 

バスセンターには当然誰かいるわけでもなく、

とりあえず家に向かおうものなら進んでいた方向は家とは逆方向。

 

約1時間あまり歩いて気づきましたね。

 

そこには空き地でスケボーをやっていた大学生数人がおり、

話しかけようとも思ったが、何より私は不審者である。

 

女の子とはいえ、流石に怖いだろうと、

何かするあてもなくぼーっとしているとたまたま車が通りかかり

ヒッチハイクをして、乗せてもらって家にたどり着いたのであった。

 

乗せてくれたかたはかなり不審に思っていたが、

学校のことなどを話してどうにか信用してもらった。

 

 

 

この体験を友人に話すとものクソ笑われるが、

私はただのネタではなく、

こんなわけのわからない経験から色んなことを

学んでいると思います。

 

もちろんこんなことないに越したことはありませんが、

それからというものお酒を上手く飲むことを覚えましたし、

まさに生きる糧を持てたような気がします。

 

 

 

 

 

様々なことに興味を持ち始める子どもがいる親に言いたいこと

 

人間は好奇心を持って、

やりたいことや楽しそうなことに興味を持ちますよね。

 

そして誰も止めることがなければできますが、

全てのことができるわけではなく

家族が危険だからなどの理由で止めたりします。

 

更に法には触れなくても世間体のイメージが悪いことだと

余計にストップがかけられます。

 

反対されるのは当たり前なのですが、

できるだけ経験した方がいいことだと思います。

 

 

日本ではなく海外ですが、ある有名な性犯罪を犯した人は

性的なものに興味を持ち始める年頃に母親に全て禁止され生きてきて

大人になったときに爆発して犯罪を犯してしまった

という事件を聞いたことがあります。

 

どうしても人間は興味のあることを止められれば止められるほどしたくなるものです。

 

 

わたしの家庭も厳しく、

特に姉は厳しく育てられました。

(したいことをある程度自由にできなかった)

 

姉は高校を卒業してから行方を眩まし、

家族総出で探したこともあります。

 

恐らくわたしの母は可愛さのあまり自覚もなしに姉を育てていたんだと思います。

現在もあまり気づいていない気がしますが。

 

ちなみにわたしはある程度緩く生きてきて、

あまり干渉されたくなくて地元を離れたので

自由に生きています(笑)

 

 

そういった例を踏まえた上で、

またこれからの乗り越えなきゃいけない壁を超えるために

できるだけ色んなことを体験させてほしいのです。

 

まさに、「可愛い子には旅をさせよ」です。

 

 

 

大学生になって両親と離れたわたしは

寂しい思いもしたり、失敗して苦しかったときもあり、

全てが全て笑えることであったわけでもないです。

両親が隣にいたらいいのにと思ったこともあります。

 

そして親も心配で心配で仕方ないこともたくさんあります。

しかしできる経験は全てさせてあげれるように心を軽く持ってください。

 

それが親も子も育つ瞬間だと思います。

 

 

大丈夫、子は親がいなくても育つはほんとうです。

 

 

 

以上、たかが20年あまり生きてきたわたしが思うことでした。

 

 

 

 

ps. 新幹線で約3時間の旅は辛い

 

 

わたしの思い出の味: おばーのラフテー!簡単にアレンジ料理

 

 

こんにちは!

今回はお題スロットルで回しまくってて一瞬見えたので、書いてみよう!

 

 

タイトルからわたしの祖母はもう亡き人みたいに思った方は申し訳ないが、めちゃくちゃ元気な86歳です。

 

何度もおんなじことを聞いてくるが、大きな家と土地をほぼ一人で管理し(子家族や孫など家族の助けを要することもあるが、ちゃんと対価を払ってやってもらっている)、人付き合いを怠けず、さらに小さな商店も営んでいる。

 

ものすごい元気!

 

 

少し話は変わって、わたしは沖縄出身で県外とはちょっと食文化が違います。

 

沖縄料理はとっつきにくいとか口に合わないという方もいるかもしれませんが、だれでもできるので試してみてください。

 

 

もくじ

  1. 思い出の味紹介
  2. 作り方

 

 

 

1.思い出の味紹介

 

うちではお正月やお盆(ちなみに沖縄では旧暦の考え方が殆ど)には、紅白のかまぼこや煮つけ、ラフテーなどを重箱につめたもの。

 この重箱がお正月にはおせちみたいな役割になります。

 

それと、巻き寿司や肴、つまんで食べるようなものをオードブルにしてお供えします。

 

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これは祖母のトゥシビー(85歳の祝い)で作ったものだが、オードブルはこんな感じ。

ちなみに写真はいつもより少し豪華なタイプです(笑)

 

この写真の中で珍しいものをあげると、手前オードブルの上部、揚げ物の右のもの。

ターウム(田芋)といわれ、芋の一種で砂糖で煮てトロトロにして食べるのが一般的ですが、わたしの母が作るものは素揚げにして砂糖醤油にくぐらせるのが楽なのでこの調理で出てきます。

 

 

大概のものはレンジで温めて後日食べれば何ら問題はないんですが、ラフテー(うちは脂身が好きでない人が多いので、赤身8割で作りますが)は多く作る上になかなか減らない!

 

そこで、味がしみ込んでみんなが飽きてきた3日後くらいにラフテーの入った鍋に葉野菜(キャベツや白菜)、これまた重箱要員の残りがちなあげどーぷ(厚揚げ)を入れて軽く沸騰した状態で10分煮詰めて完成する、何とも簡単なおかずが出てくるのが定番です。

 

よく祖母が作ってくれて、代々受け継がれています。

 

おいしいく、お肉も野菜もいっぺんにとれる、お正月やお盆で飲み疲れしているうちにはなにより楽でありがたい逸品です。

 

 

 

2.作り方

 

上記では葉野菜やあげどーぷを入れて煮詰めるだけと書きましたが、まずラフテーがないことには始まらないので、作り方をまとめます。

 

ちなみに目分量で作るので好きなだけ作ってください(笑)

 

この作り方はラフテー単体で食べた後のアレンジレシピを兼ねて書いています。

 

 

材料

・三枚肉(脂身が苦手な方は豚肩ロースでも可)

・水(下茹で用)

・調理酒 or 日本酒(アレンジレシピは食べない方は泡盛でより沖縄風に)

かつお出汁

・醤油・砂糖

 

作り方

1 肉の下茹で

三枚肉を塊のまま深い鍋に入れて、肉が浸るくらい水を注いだら強火で一気にゆでる。

量によって下茹での時間が変わるが、実家の通常量(肩ロース1kgと三枚肉200~300g)では1時間茹でている。

 

2 肉を洗う

茹でると灰汁が出るので、鍋から茹で汁ごとザルに流して水道水で流しながら肉を洗う。

もちろんアツアツです!!!粗熱をとってからでも大丈夫なので、火傷にはご注意を!!!

 

3 肉を切る

好みの厚さに肉を切っていきましょう。

だいたい1cm、2~3cm幅などさまざまな大きさに切っておくと良い。

厚め幅はラフテーをで楽しめて、1cm幅のものはアレンジレシピに残しておくとのちのち切らなくていいので楽。

このとき、中が赤く残っている部分があっても構いません。

 

4 調味料をすべて合わせて火にかける

深めの鍋に切った肉を先に入れる。

かつお出汁を肉の半分より気持ち多めに、

残り5割を調理酒 or 日本酒2割と醤油3割で入れる。

砂糖はお好みで味付けした方がよいので、味見をしながら♪

ただ、醤油は薄すぎないのが沖縄風。

 

5 煮る

落し蓋をして30分程度煮る場合は一旦冷まして、もう一度火にかけると味が比較的しみ込みやすい。

すぐ食べたいという方は、圧力鍋か炊飯器を使った方が手っ取り早いです。

 

 

 

以上がうちの作り方です。

調味料は本当に適当なので、お好みに合わせて調節してください。

 

 

そして、作りすぎた~もう飽きたよ~という方、絶対出てきます!

(無理やりか)

 

そのときに、そうアレンジ料理!

葉野菜や厚揚げでなくても豆腐、キノコなどいれて楽しんでください!

 

 

 

本日の投稿は、

わたしの思い出の味:おばーのラフテー!簡単にアレンジ料理

でした! 

 

最近Twiceがかわいい!

 

 

 

アルバイトで弱視者の接客をして感じたこと。

 

 

2月11日現在絶賛8連勤中だ。

わたしはスポーツショップで販売員として接客をしている。

 

 

いつシフトに入っても接客をしない日なんてないから、老若男女どんな人でも接客できると信じていた。

 

 

昨日、2年半のスポーツショップ接客歴の中ではじめてのお客さんの対応をした。

その方は弱視者(以下、Aさん)であった。

 

はじめにAさんから声をかけられ、わたしの顔がある方向を見て話しているが故に接客導入までの間は健常者と全く変わらないようにみえた。

 

商品を探そうと動き出すとゆっくり探るように歩き出したものだから、どうしたのかと思い、ものすごく戸惑った。

今考えればAさんは白杖を持っていたのですぐに気づくべきであった。

 

接客を始めて数分経った頃に店内を見回っていた店長から、Aさんは弱視全盲ではなく、少し見える)なので移動の際には肩を貸したりして接客してください、と受けてやっと戸惑いが晴れた。

 

そして、色や形、どういった場面に適しているのかなど、商品について説明し、40分程接客したのちにちゃんと商品を選んでいただけた。

 

 

勤務時間がおわり、一息ついたときにAさんの接客を思い返してみた。

 

接客も終盤にかかったころにAさんは何気なく、「何度も何度もすみません」と言った。

 

「いえ、気になさらないでください」と返したもののはじめての経験ではあっても、拙い接客したわたしの方こそ申し訳ないと感じた。

 

そして、もう大体の接客はいけると思っていたが、一人前には程遠いことにも気づかされた。

当たり前であるが。

 

 

 

ここ数十年、人権なるものに日本は大きく渦巻いている。

ヨーロッパでは数世紀前から市民の権利や女性の権利などをとって戦ってきた。

 

近年は障碍者の権利にも注目度は高い。

障‘害’者という書き方から、障‘碍’者が一般的になったのも記憶に新しいように思う。

 

 

わたしは生まれも育ちも日本である。

わたしが小中学生のときの、日本での彼らの教育の在り方として、学校行事と体育の授業以外は、一緒に授業を受けることは少なかった。

高校進学の際には、知的障碍のある子は特別支援の学校に行くことになっていた。

(現在の教育体制が変わっていたら申し訳ない)

 

 

高校生のとき、アメリカの姉妹校に数週間留学する機会があり、そこで度肝を抜かれたことを覚えている。

その高校は州で一番、理数系に関してはアメリカでも上位の教育を行っているようなところであった。

それゆえに、一般授業に障碍をもっている子たちが同じように席に座って勉強し、発言していたことにとてもびっくりした。

 

正直発言内容などが完全に理解できているわけではないので、教師がどう対処しているのか、コメントは何を言って返しているのかはわからなかったが、教師が隔てなく同じように接していたのは印象的だった。

 

アメリカでは、というか少なくともこの学校では、当たり前だそうだ。

 

 

わたしがAさんを接客したときに困惑したのも、良い悪いは抜きにして、一般とは違うとみなした人とそうでない人と何かの根拠(医学なのか科学なのか)をもって隔てた教育を行っている自治体で育ったことにあるのかもしれない。

 

一般授業で関わりをもつこともなく、外部との交流で多かったのは外国人やお年寄りとの交流である。

同じように身近にいる障碍者と関わる場面は少なかったように思う。

 

この教育を悪く言っているわけではなく、探せば日本の、またはアメリカの教育のやり方両方にメリットもデメリットもあることは間違いない。

 

 

ただ社会に出てからより、まだ幼い頃から関わったことで、どう対処をしたらいいのか、どうゆう風にすると健常者と同じラインに立ってスタートをきれるのかということを考える力を養えるのではないかと思った。

 

 

関わる機会を自分で持てばいい、ボランティアに行けばいいと言われるのも妥当ではあるが、幼い頃には自分で選択できることも知識もない。

現在では、学生生活や自分のことで手一杯な上に、なかなか興味の中心にあるわけでもない。

 

 

教育というのは国語や英語、社会、数学などだけではないのは恐らく義務教育でもその方向にあるはずだ。

 

指導要領にも「生きる力」というものが載っている。

 

この世の中、生きる力とは、コミュニケーション能力も欠かせないはず。

だから、色んな人に興味を持つ機会を設けることも第一優先でなくても入れて欲しい。

 

 

 

20歳にもなって顔に大怪我を負う

 

 

こんばんは、前回のアップから3日間経ってしまいました。

言い訳はしません。

 

原因含め、自己管理の甘さが出ました。

あーアホだなー。

 

これからのブログ更新は滞りなくできるといいなと思い、前回の投稿から2日以内に更新できなければ、自分のお小遣いを減らして貯金にするという結局自分得にしかならない策を思いつきました。

 

まぁその月は少し苦しい思いをするので、その場は得とは言えませんが、次回からやります。

はい。

 

 

 

ということで、気を取り直して、今回のタイトルにもあるように、21歳を目前に顔に大怪我したお話です。

 

こちらは、もう一年半以上前の話なんですが、わたくし大型二輪免許を持っていて、まずは中型免許!と思い、憧れのツーリングを楽しみに足繁く教習所に通っていました。

 

まず、ね、誰がみても私が乗ってるようにはみえない。

むしろ、「バイクに操られる私」みたいな、ほんとに先生方は思ったでしょう。

 

というか、「(私)さんは心意気はあるはずなのにね〜・・・」と言われる始末。

笑えました。私もそう思いますぅ〜

 

そして、スラロームが苦手でコンマ4秒縮めれたら余裕で通るね!と言われ続けながらも最終教習を終えて卒業試験を迎える。

 

 

さまざまな試験落としたろポイント(ただの技術を見る通過ポイントでしかなかったが、私からしたら落ちたら金むしりとられるとしか思ってなかった)を通過し、最終の急制動に差しかかった。

 

ここで、私は油断していた。

 

一本橋スラロームもタイムは見えない(合格の秒数に達しているのかわからない、教官のみぞ知る)のになぜか、私は終わると途端にできた!という自己暗示をかけて安心するクセを発揮したのだ!

 

急制動とは、

・ギア3速で40km/h前後のスピードを出す。

・手前のカラーコーンでクラッチを切らずに前後ブレーキを一気にかける。

・指定されたカラーコーンが置かれた線までに止まる。

というのが一連の試験の一部にあるのだ。

 

そこで、そのクセを発揮した!

 

気づいときには、私には地面が水平に見えた。

 

そう、恐らく前輪ロックで軽くバイクから

投げ落とされたのだった.....。

 

教官が大声で大丈夫かと叫んでいるのも聞こえる。

他の受験者も遠いところから興味津々でガン見。

それでも試験続行したいという私。

困惑する周り。

 

結局、強制中断させられ試験は再試。

(全て当たり前の判断。その節はありがとうございました。)

 

そのあと、清掃員のおばちゃんに痛くない?大丈夫?攻撃を受けたが、鏡を見る間もなく家に帰り、自分の顔を見たのは約2時間後。

 

驚愕したが、なぜか大したことないと思い始め、そのとき免許取ることを言っていない母に電話で報告するとめちゃんこ怒られた(笑)

当たり前じゃ。

 

そして近くの薬局で見てもらうと、私以上に薬剤師さんが驚いて、こりゃ傷跡残るよ〜と言われてなぜか治すぞ!と燃え始めた。

 

 

ほんとに治したんですけどね〜(照)

 

 

とりあえず、写真を見てもらいましょう。

 

少しグロいと思うので、見たくない方は遠目でスルーしてください。

 

 

 

 

 

 

いきますよ

 

 

 

 

 

 

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唇と顎周辺と頬骨あたりも傷がありました。

 

ヒリヒリしてましたが、どうにかこれを4日間で治しました。

 

 

ほんとにアホだと思いましたが、なんでも経験主義の私は、私の心意気と自信過剰さを見つめ直すことができました。

 

皆さんもくれぐれも顔に怪我はやめてくださいね。

ほんとに恥ずかしいです(笑)

 

 

 

2月中にはこの傷を4日間で治した方法を紹介したいと思います。

 

 

では、また今度!アデュー

忘れられない景色であり地球を知る景色

 

 

こんばんわ!

 

一応、宣言通り2日に1回更新しています。

(言い訳がましい感じがしますが)

 

満足のいく内容に仕上げようとすると

予想外にも時間がかかるかかる・・・・(汗)

 

毎日更新しているブロガーに

頭が下がらない勢いです(笑)

 

 

 

ところで私の「忘れられない景色」ですが、

それはとても美しかった景色です。

 

私の趣味にスキューバダイビングがあって、

2016年の夏に私の地元、沖縄で

免許を取得している友人たちと潜りました。

 

ちなみに価格は朝〜夕方前までに

3ダイビングして15000円程度。

 

ツアーなるもので行けば標準的ですが、

ダイビング単体で見れば良心的な価格だと思います。

 

 

私たちは今までに福井県和歌山県でしか

潜ったことがなくて、

サンゴを満足に見たことはありませんでした。

 

なんなら私は海が綺麗な沖縄に生まれたにもかかわらず

生きた野生のサンゴを見たこともありませんでした(笑)

 

忘れていたボンベの設置の仕方を

インストラクターに叱咤激励(?)されながら

ようやく準備完了しダイビング!

 

透明度は15メートル以上

と言っても過言ではない!

 

とっても綺麗でした。

 

サンゴは白を基調として色とりどりで、魚たちがいっぱい住んでいて

ログブックには書ききれないくらいいました。

 

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サンゴと魚たち

 

この写真は大学生ではリア充の必需品とも言われる

Goproで撮ったものである。

 

私は買ってしばらく、全く活用できていなかったので

リア充というには程遠かったのですが(笑)

 

 

 

私たちは美しいと思った反面、

この写真にはもう1つの地球の真実があります。

 

皆さんの綺麗な海というのは、

白い砂浜というイメージが一般的だと思います。

 

なぜ砂が白いかというと、

サンゴの死骸が長い年月をかけて

波に揉まれることで壊れてつくられています。

 

カップルや美男美女がはしゃぐあの砂浜は

生き物の犠牲によってできているわけです。

 

私たちが見た光景は、

実はほとんど白くなったサンゴでした。

 

根まで白くなっているものも、

ところどころもう死んでしまっているものもありました。

 

インストラクターをしてくださった方は

ここ数年のサンゴの死滅は恐ろしいほどだと言っていました。

 

正直、沖縄県民含める海に関することをしたことない人からすれば、

見たところで綺麗だなとインプットされますし

さして問題はないかのように感じます。

 

しかし、この写真を通して、

ただ事ではないと思って欲しいのです。

 

数年前まで大きく騒がれていた地球温暖化

これが関わってきます。

 

現在も世界が協力して問題解決に向けて

動いているとはたまに聞きますが、

ほとんどニュースでは聞かなくなりました。

 

知ってる方が多いのか少ないのかは

わかりませんが、

サンゴは植物と同じく光合成をして酸素を出しています。

 

それは、私たちの食べる魚たちを育てるだけでなく、

私たちが生きていく上で必要です。

 

 

サンゴの死因は地球の気温上昇であると言われています。

 

ある一定以上の水温になるとサンゴは生きていけない上に、

サンゴを食べるオニヒトデが元気になります。

 

そうすることで綺麗な景色も、

綺麗な空気も減っているのが現実です。

 

もっと言えば、自分たちが食べるものすら

減らしていることに変わりありません。

 

 

他にももっと調べていくと問題はあると思いますが、

私たち自身が地球環境の悪化を感じているところが

他の生き物にも影響して

さらに私たちが生きにくい環境を作っているように

強く感じました。

 

ここで私の考えは「知って欲しい」という

それだけですので、

何をしたらいいのか、どうしていくのかなど

指図はしません。

 

ただ、知って考えて、興味を持って欲しいだけです。

 

 

 

 

私たちが見たサンゴの中に大きなテーブルサンゴがありました。

 

それは生きており、

藻をまとってたくましく生きているような印象でした。

 

サンゴは魚に突かれ食糧源にされながらも

共に暮らしています。

 

私たちの生活ももちろんこの生態系の中にあり、

お互いが協力しあって生きていくことが

火星移住計画などなくても美しい地球で

暮らしていくことが可能になるのだと思います。

 

その姿に地球での暮らし方の真意を見ながら、

私はとても有意義な時間を過ごせました。

 

 

どうか一度はこれを読んだ皆さんにも

ダイビングをして欲しいと思って書きました。

 

 

 

では、また明日!(か明後日!)(笑)

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